わたしの親がしてくれなかったこと

ここ最近読んだビジネス書の中で、間違いなく第一位。
経営学から学ぶ、生きるヒント。そして経営学を使った、夢の叶え方。
まさに私が叶えたかったことが詰まっています。

もう何年も前からクレイトン・クリステンセン先生の経営学書は読んできたわけで、
経営学の理論を個人の生き方に反映させて考える、という
私がキャリアデザインのヒントにしてきた方法論を
ここまで分かりやすくまとめてくれているなんて、と。

初めてこの本を手にしたときは、ワナワナしました。(笑)

・・・と。
前置きはさておき、上京してもうすぐ一年。

毎月仕事で大阪に戻るので、なんやかんや家族は変わらず近い存在なわけですが、
この一冊を読んで、経営学から学ぶ「教育」のヒントや
親が子供に教えるべきこと、残すべきことを見ているうちに
なんだか自分もこんなふうに育てられてきたのかしらと
感じてしまうことが沢山ありました。

写真-308

ちょうどひな祭りの日に【たぶん、人生最高の親孝行】という記事で、
私の両親の話を書いていたのですが・・・
今日はこの本から学んだ面白い「親と子」のエピソードをご紹介したいと思います。

 

わたしの親がしてくれなかったこと

そんなタイトルのついたクリステンセン先生の著書にあるお話では、
クリステンセン先生自身が子供の頃のエピソードを載せていました。
なんだかふと、それを読んだときに涙がぽろりと出たんですね。(笑)

(・・・ビジネス書で泣いたのは、初めてかも。)

 

子供によかれと思ってこうしたことをしていると、結果的にほとんどの子供が、煩わしい責任を担ったり、自他のために複雑な問題を解決したりする機会をまったく与えられないまま大人になる。自尊心、つまり自分には解決できるという自信をもって、問題に恐れずに取り組む姿勢は、ありあまる資源から生まれるのではない。
困難を乗り越え、大切なことを成し遂げてこそ生まれるのだ。

そんな言葉と共に、クリステンセン先生が紹介していたのが、
両親の与えてくれた最も素晴らしい贈り物の一つは、
してくれたことよりも、してくれなかったことにある、という話。

6人姉弟という大家族の中で、一度も穴のあいた靴下を繕ってもらえず、
母親のところへ持っていった幼少時代のクリステンセン教授に
針に糸を通す方法だけを教え、通せたら持っていらっしゃいと伝えたそう。
何分もかかって糸を通して針を持って行くと、今度は、
一足の靴下だけを繕ってクリステンセン教授に見せ、
二足目の靴下をぽんと渡して、自分の仕事に戻っていったと。

母親ならば数秒で出来たはずの作業を、自分にやらせたことが、
自分の人生にとっては決定的瞬間だったと振り返っています。

 

おかしなことだが、わたしはあの靴下が擦り切れてはけなくなるまで、靴下をはくたびにつま先の直したところを見て、「僕が直したんだ」と思ったのだ。

きれいに直せたはずがない。だがそれを目にするたび、うまく直せなかったとは思わなかった。わたしが感じたのは、自分で直したという誇りだけだった。

 

そのあとも「自分の問題は出来る限り自力で解決する」ということを学んだクリステンセン教授は、破れたズボンを自分で直し、学校へ何喰わぬ顔で履いていったそう。

そんな我が子を、母親はどんな思いで見ていたのか?

 

子供にぼろを着せるのを恥ずかしいと思う母親もいるだろう。家に余裕がないことをふれ回るようなものだからだ。だがたぶん母は、わたしのズボンには目もくれなかったのだろう。母はわたしを見て、わたしがつぎあてを見て思ったこととを感じ取ったのだと思う。

「この子が直したのね」と。

 

田中伶の親がしてくれなかったこと

このエピソードを見て、ふと私自身も考えてしまいました。
私の親がしてくれなかったことって、なんだろう?

「あんたの人生はあんたの人生。勝手に決めなはれ」主義で 育てられた
自分自身の幼少時代を思い返すと、してもらわなかったことだらけなのですが(笑)

今でもすごく覚えているのは、
私が小学校3年生のときに小説家になりたいと言い出したときのこと。私が当時大好きだった児童作家さんがいまして(今でも覚えてる、その作家さんのお名前は上条さなえ先生!)

私は自分で書いた小説を、その先生に見てもらいたいと言い出したんですね。
今思えば、めちゃめちゃ迷惑な話!(笑)

そしてよく連れていってもらっていた図書館の帰り道、
母に聞きました。

「どうしたら読んでもらえるかな・・・?」

すると、母は一言。

「知らない」

(ええええ・・・・・!!!)と、内心思ったに違いない。

とはいえ、
「そりゃそうだよね、お母さんは見てもらったことないもんね」と
なんとなく納得し、その後、半年ぐらいかけて結構な長編を書き上げ、
どうしたら読んでもらえるかしらと悩んだ結果、
本の最後のページに書いてあった「なんか住所っぽいもの」を
汚い字で封筒に書き、上条先生の作品が好きです、ということを書いて
自分の小説を同封して、郵便局に持っていったんですよね。
(引越しがめちゃくちゃ多かったので、文通や郵便局にはすごく慣れてた)

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もちろん母親は、私の手紙の内容をチェックすることもなかったし、
作家大先生に失礼があったかどうかを確かめることもなかったわけで、
何なら私がそんな手紙を出していたことも知らない。(笑)

そして、数カ月後・・・
なななんと、お返事が来たんですね。

確かそのお手紙は、上条先生ご本人が書いたものではなかったけど、
マネージャーさんか、出版社の方だったのか・・・
だけど、上条さなえ先生の小説で使われている挿絵が書かれた
きっとどこにも売っていないポストカード、そして
「素敵な作品をありがとう!これからも頑張ってね」と書かれた
手書きの文字に、感激したのは今でも覚えています。

私の母の「いい具合の適当さ」と「無関心さ」のおかげで、
「自分で行動を起こせば、皆が知らない景色が見える」ということを
初めて学んだというエピソード。

私の母の場合は「あえてしなかった」というよりも、
単純に相手するのが面倒だったからなのかも知れないけど(笑)
今の私だったら「失礼だからやめなさい」なんて言うかも知れないし、
「本当に大丈夫!?お母さんがチェックしてあげる」なんて
お節介な気持ちで余計なアクションを起こしているかも。

クリステンセン先生の靴下のエピソードとはまったく違う、
うちの母お得意の(そして私がしっかりと受け継いでいる)
適当エピソードの一つなのですが、なんだかふと、思い出して笑ってしまいました。

(うちの母が本気で怒ったのは、私が帰宅合図のチャイムを聞いても帰ってこなかったときと、当時通っていた公文式の答えを丸写ししていたことがバレたときぐらい..)

親がしてくれたことよりも、してくれなかったことのほうが、
学びが多い・・・なんだかこの言葉にも、納得。

私はクリステンセン先生のこの一冊、
キャリアやビジネスどころか、まだまだ先の”子育てに役に立つ一冊”として
きっと一生、家庭の医学の隣あたりに置いてしまうんだと思います。

そんな、どんな人にでも薦めたくなる一冊。
興味のある方は、ぜひぜひチェックしてみてください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

As I Am.
Ray

 

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